偉人シリーズ 佐久間勉について
DVDショップにいったりすると、人気映画の中で
タイタニックを目にします。
タイタニック号が沈没したのが
1907年4月15日です。
その2年前の
1905年(明治38年)4月15日
にタイタニック以上の衝撃と感動を与えたのが、日本で起こった
佐久間艇の潜水艦の事故
です。
大国ロシアを破って、独立を守った海防にとって、潜水艦の開発が急務でした。当初はアメリカやイギリスからの輸入しながら自国生産にこぎつけた第一号に佐久間勉海軍大尉以下14名が配置され実地訓練をしながらの中で起こった全員殉職した悲劇的事故でした。
このような潜水艦開発の初期段階の事故は、この時代各国でも何回か起きていて、いずれも本能の赴くままに互いを傷つけあう地獄図だったそうです。
しかし、日本で起こった佐久間艇事故は、艇内では全員が各自の持ち場についたまま死を迎えていたそうです。
(佐久間艦長は30歳)
又、これだけでも人々は驚くところ、それにとどまらず、艦長の制服の胸ポケットからは手帳が発見され、その中には事故の原因、応急処置の記録、部下の遺族への配慮までが記されていました。
今から100年以上前の出来事ですが、この話を聞くだけでなんとも言えない、いつも胸を打たれる感じがします。
責任者とは本来こういう方のことをいうのでしょう。。